このエッセイは著者が大手ハウスメーカー在籍時の実録ドキュメンタリーエッセイで2021年にAmazonで電子書籍化されたものです。
その中から一部読み切り可能な章を抜粋しました。
私が大手ハウスメーカーの設計部在籍中に起こったエピソードです。
当時、私が最も尊敬していたカリスマ設計マンの逸話を綴ります。
◆ 剛腕エリア長就任
4月の期初から新しいエリア長が東京第一グループに就任しました。
当時、東京営業部は第一と第二の2事業部制となっていました。
設計部でいうと、設計一課と私の所属する特販設計課が、この東京第一事業部です。
ちなみに設計二課と特殊物件設計課が東京第二事業部でした。
新エリア長に就任した大沢(仮名)エリア長は営業時代は関西でバリバリのトップ営業マンでした。
その反面、独裁的で強引な手法は当時から有名で恐れられていました。
設計や工事の技術部門社員を奴隷のようにコキ使い、
『営業数字の為には手段を選ばないマシーン』
の異名を持つ大沢エリア長。
前部署では部下の営業マンを何人も辞めさせたり、うつ病で会社に来れなくなった社員もいたほどです。
今と違ってパワハラが住宅業界では横行していた時代。
大沢エリア長は社内での評判は悪く大変嫌われていました。
しかし営業成績だけはダントツに良かったのと、非常に攻撃的で恐れられていたため関西営業部で彼に意見できる者は一人もいませんでした。
そんな大沢エリア長が東京に来るとウワサになった時から、営業を始め我々設計部や工事部、すべての社員が恐怖を感じたことはいうまでもありません。
これまでの東京営業部では、そういうパワハラ独裁者のような上司やエリア長はほとんどいませんでしたから…。
◆ 大沢エリア長就任第一回目の全体会議
大沢エリア長は就任初日の朝礼で「夜7時から全体会議をやる」と突然言い出しました。
早速、社員は戸惑いました…。
いきなり初日から…しかも所員たちの予定があるのに強制的に、です。
その夜、19時から急遽開催となった大沢エリア長就任第1回目の全体会議で
<大沢エリア長>
「今までの東京のやり方では絶対に営業数字は上がらない。抜本的な改革が必須と考える。
設計や工事の技術部門は営業成績を上げようという気がまったく感じられない。
自分さえよければ良い、自分だけ楽しようと思ってる人間は排除する!
これからは全員が一丸となって営業支援を念頭に取り組んでもらう!
異論がある者は私の所まで直接来るように!」
これはヤバイ…と、全員が凍りついたかのように静まり返っていました。
◆ 営業、設計、工事の異なる休日設定
大沢エリア長の独裁効果で社内の雰囲気は一変しました。
ちなみに休日の設定は、ハウスメーカーの場合、営業はお客さんとのやり取りがあるため、原則は火曜日・水曜日休み(土日に打合せが多いため)となっていました。
設計と工事の技術部門は、原則は水曜日・日曜日休み(土日休みのハウスメーカーもあります)という設定になっていました。
しかし一般的にお客様は土日休みの人が多いので、営業に同行したり、お客様対応で土日が出勤になることも結構ありました。
会社的には「必ず代休を取るように!」となってはいましたが…
しかし実際のところ、平日もいろいろと業務に追われ、代休などとれるはずがありませんでした。
当然ながら代休を取れなかった場合の休日出勤手当も一切無かったので…
休日に出勤をした場合は「サービス出勤」というのが定番になっていました。
◆ 怒涛のイベントラッシュ
大沢エリア長はとにかくイベントが大好きな人でした。
設計・現場監督による住宅が丸ごと解るセミナー、入居後のお客様お宅拝見、工事中現場見学会、さらには自社プレカット工場と併設して建設された群馬県のテクニカルフォーラム見学会など…
月に数回、さまざまなイベントを有無をいわさず強引に計画し…
そのすべてに我々設計マンを強制的に参加させるという無茶苦茶な企画をしてきました。
もちろん各種イベントは土日祝日に開催されます。
当時、こういう強引なムチャ振りは、どこの住宅メーカーでも大なり小なりあったと思います。
◆ パワハラで疲弊した東京第一事業部
大沢エリア長就任から約4カ月が経過しました。
休日を返上してのイベント参加や大沢エリア長からの恫喝などで東京第一事業部の社員たちは次第に疲弊していきました。
大沢エリア長は、常に『営業支援』を盾に偽りの正義を振りかざし、休日イベントに不参加だった社員を呼びだしては、
<大沢エリア長>
「オマエ、営業支援わかってねーな!
今の時代は営業だけじゃなくて設計も全員一丸となってやってかねーと会社潰れちまうんだぞ!
オマエだけよければソレでいいんだな!
そういう非国民的な発想するなら俺も徹底的にヤルから覚悟しろよ!」
などと、長い時は一時間以上も徹底的に罵倒し続けたりすることもありました。
営業支援を振りかざしての恫喝は相当な圧力と恐怖感がありました。
特にイベントに参加しなかった社員は、みんなの前で徹底的に罵倒され続けました。
他にも決裁書や各種書類の承認印を押さず、脅しや嫌がらせなどは日常茶飯事でした。
◆ 孤高のカリスマ設計マン
当時の設計一課には、剣崎(仮名)係長という設計部13年のベテラン設計マンがいました。
彼は大変寡黙な優秀設計マンで、難物件や特殊物件などを常に担当していました。
私も含め、皆から信頼されている無口でクールな二枚目でした。
東京第一グループの社員たちは、完全に独裁かつ威圧的な雰囲気にのまれてしまい、大沢エリア長のイイナリになっていました。
私も毎週休日を返上して『営業支援』と称した各種イベントに参加しまくっていました。
そんな中、剣崎係長だけは休日出勤をしてまで大沢エリア長の企画した各種イベントに参加することは一切ありませんでした。
大沢エリア長も、剣崎係長の実績やその寡黙で風格のあるオーラを警戒してか、剣崎係長に文句を言ったりすることはありませんでした。
◆ 大沢エリア長の怒号が炸裂
二日後の日曜日にテクニカルフォーラム見学会を控えた金曜日の朝一に事件は起きました。
唯一、大沢エリア長に従わず前述の見学会を「今回も不参加」と表明した剣崎係長。
すると、今まで剣崎係長にだけはずっと沈黙を守ってきた大沢エリア長がついに牙を剥きました。
机に座って黙々と作業する剣崎係長の席の前に立ちはだかると、
<大沢エリア長>
「オイッ!剣崎!、テメエ、どんだけ仕事できるつもりか知らねえが…また欠席か?!
みんながんばってんのに、テメエだけ『営業支援』しねえのか?自分だけ休みたいんか!?」
<剣崎係長>
「......」
顔を上げることすらせず変わらず作業を続ける剣崎係長。
<大沢エリア長>
「オイッ!コラッ!無視してんじゃねえ!
テメエ!…いい加減に調子に乗りやがって!
この会社で働けなくしてやっからなあッ!
おいっ!!、コラッ!、何とか言えよ!」
~その後も延々と激高し続ける大沢エリア長~
10分ほど経って、ついに剣崎係長が、
<剣崎係長>
「日曜日は行けない。」
と、一言つぶやくと…
<大澤エリア長>
「あ~ッ!!何だと~!偉そうに行けないだと!
テメエッ!ホントッ!覚悟しろよ!
わかってんのか~!コラァ!!」
~その後も発狂し続ける大沢エリア長~
狂ったように激高する大沢エリア長には見向きもせず黙々と作業を続ける剣崎係長…。
設計部フロア全体は緊張感で最高潮に凍り付いた状況でした。
誰一人として二人の方を見る者はいませんでした。
しかし…すべての社員は二人の動向に耳をそばだてていました。
その後も大声で怒号を浴びせ続ける大沢エリア長が、
<大沢エリア長>
「何で日曜日出られね~んだ!答えろ!」
と言い放った瞬間…
今まで黙々と作業を続けていた剣崎係長は突然手を止めて立ち上がりました。
そして、静かに重い口を開きました。
<剣崎係長>
「娘と約束があるから。」
そう言い放つと、その場をゆっくりと立ち去って行きました。
残された大沢エリア長…。
呆然と立ち去っていく剣崎係長の後姿を見つめていました。
◆ 季節外れの人事異動
それから約1カ月後、大沢エリア長に以前のような勢いは無くなりました。
威圧的なオーラで社員を罵倒したりすることもなくなりました。
休日を返上しての各種イベントも月1回程度と大幅に削減されましたが社員の間では、それを素直に受け止められず…
「何か大きな病気でも宣告されたのではないか?」
「パワハラで誰かに訴えられているのでは?」
など…さまざまなウワサが飛び交っていました。
そんな中、突然の人事が発表されました。
===10月1日付異動===
大沢 正樹
現役職:東京営業部東京第一エリア長
新役職:北関東営業部 北方展示場店長
剣崎 隆一
現役職:東京営業部東京設計一課係長
新役職:甲信越設計課係長
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この発表を見て、社員は騒然となりました。
悪の限りを尽くしてきた大沢エリア長の左遷は当然としても…なぜ剣崎係長まで異動なのか?!
後で聞いた話によると、あの時剣崎係長が
「娘と約束があるから。」
と放った一言は、単にその言葉の通りであって、何か意図してそのような返答をしたわけではなかったようです。
日曜日は愛娘と遊ぶ日と決めていたのでしょう。
そこがまたカッコイイですよね…。
◆ 伝説のサラリーマン
今でもこの不可解な人事の真相は解りません。
あの日の夜、
剣崎係長と大沢エリア長が二人で話しているのを見た…。
人事部が、大沢・剣崎両者から事情を聞いていた…
など、いろいろなウワサが飛び交いました。
誰もが恐れる大沢エリア長に対して眉一つ動かさず、
たった一言で勝負を決めた
剣崎係長の姿は、今でも私の記憶に鮮明に刻みこまれています。
私も彼のように多くを語らずとも存在感のある人間になりたいものです。
【完】