AIが急速に進化しています。

文章を書く。

情報を調べる。

要約する。

企画を考える。

資料を作る。

画像を作る。

これまで人間が何時間もかけていた仕事を、AIが短時間でやってくれるようになりました。

私自身、今では仕事でも日常生活でもAIをかなり使っています。

だからこそ、よく考えることがあります。

これだけAIが進化したら、

人間には何が残るのだろう。

特に私のような50代の人間は、

「若い人の方がAIを使いこなせるんじゃないか」

「今さら新しいものを覚えても遅いんじゃないか」

「自分たちが30年かけて身につけてきた知識なんて、AIなら一瞬で答えるんじゃないか」

そんな不安を感じる人もいると思います。

でも私は、AIを使えば使うほど、むしろ逆のことを感じるようになりました。

AI時代だからこそ、経験がものを言う。

私はそう思っています。

なぜならAIは、ものすごい量の知識を持っています。

でもAIは、

私が住宅営業でお客様に断られたときの悔しさを経験していません。

冬の屋外で近隣住民に4時間も5時間も囲まれて、足が勝手に震えた経験もありません。

若い現場監督だった頃、先輩にからかわれ続けて、工事会議の席で、

「お断りします」

と言った経験もありません。

商談に負けた後、お客様に電話して、

「本当の敗因を教えてください」

とお願いした経験もありません。

床下に潜って、

「なんかおかしい」

と感じた経験もありません。

AIには知識があります。

私には経験があります。

だったら、

戦う必要なんてない。組めばいい。

私は今、そう考えています。

私がAIに唯一勝てるのは「人間であること」

AIと知識量で勝負したら、私は勝てません。

記憶力でも勝てません。

情報収集の速度でも勝てません。

文章を書く速さでも勝てません。

文章を整理する能力も、おそらくAIの方が上です。

だったら、そこで勝負しなければいい。

私は、

「自分がAIに唯一勝てるのは、人間であることだ」

と思っています。

これは、AIより人間の方が偉いという意味ではありません。

得意分野が違うということです。

私は30年以上、住宅・建築・不動産の仕事をしてきました。

現場監督をやりました。

設計をやりました。

営業をやりました。

管理職をやりました。

リフォームもやりました。

現在もホームインスペクターとして住宅の現場に出ています。

成功したこともあります。

大失敗したこともあります。

お客様から喜ばれたこともあります。

怒鳴られたこともあります。

部下を育てたこともあります。

自分が上司に怒られたこともあります。

こういうものは、単なる知識ではありません。

自分の身体を通ってきた情報です。

私は、この「身体を通ってきた情報」が、AI時代にはむしろ重要になると思っています。

AIに人生を教えてもらうのではなく、自分の人生をAIに整理してもらう

私はもともと、文章を書くことが得意ではありません。

話すことは好きです。

何時間でも話せます。

「あのとき、こんなことがあってね」

と聞かれれば、30年前の営業の話でも、現場の話でも、いくらでも出てきます。

でも、

「それを7,000文字の記事にしてください」

と言われたら、途端に難しくなる。

何から書けばいいのか。

どこで区切ればいいのか。

同じ話をしていないか。

結論をどこへ持っていけばいいのか。

途中で嫌になります。

以前の私なら、そこで終わっていたかもしれません。

でも今はAIがあります。

私はAIに話します。

思いついたことを、そのまま話す。

まとまっていなくてもいい。

同じことを何度話してもいい。

途中で別の話へ飛んでもいい。

「あ、そういえば」

で30年前の話へ戻ってもいい。

するとAIが、

「今の話は、このテーマですね」

「このエピソードは、こちらの記事に使えます」

「さっきの話と、実は同じ考え方につながっています」

と整理してくれる。

私はこれを使って、今回、自分が30年間仕事で経験してきたことを整理しています。

まさに今書いている、この文章自体がそうです。

私はAIに、

人生を教えてもらっているわけではありません。

逆です。

自分が生きてきた人生をAIに整理してもらっている。

私は、この使い方が非常に面白いと思っています。

人間が「原液」を持ち、AIが編集する

今回、私はAIとかなり長い時間、話をしました。

営業について。

コミュニケーションについて。

クレームについて。

仕事について。

思いつくままに話しました。

私が話している段階では、決してきれいではありません。

話が飛びます。

言い直します。

同じ話もします。

「あれ、何の話してたんだっけ?」

となることもあります。

でも、その中には、

30年間の仕事でしか得られなかった経験があります。

私はそれを、

「原液」

のようなものだと思っています。

原液は濃い。

でも、そのままでは飲みにくい。

AIは、その原液を整理してくれる。

重複を取る。

順番を入れ替える。

見出しを付ける。

必要なところを残す。

一つの文章にする。

つまり、

人間が原液を持ち、AIが編集する。

これが、私にとって非常に相性のいい使い方でした。

AIに、

「営業について面白い記事を書いて」

と丸投げするのとは違います。

私が経験を出す。

AIが整理する。

私が読む。

「ここは違う」

「ここは俺の言いたいことそのものだ」

「この話を追加しよう」

と返す。

またAIが整理する。

これは、どちらか一方だけではできない仕事です。

AIは「最高の参謀」になれる

私はAIを、

「最高の参謀」

のようなものだと思っています。

参謀は情報を集めます。

整理します。

比較します。

作戦を考えます。

「こういう方法があります」

と提案してくれます。

非常に優秀です。

でも、最後に決めるのは指揮官です。

なぜなら指揮官には、

現場があります。

責任があります。

人間関係があります。

過去があります。

自分の価値観があります。

AIから、

「A案が合理的です」

と言われても、

「いや、今回はBだ」

ということがあります。

それでいいと思っています。

AI=参謀。人間=経験を持った指揮官。

私は、この関係が一番しっくりきます。

参謀が優秀だからといって、指揮官が何も考えなくていいわけではありません。

むしろ参謀が優秀になるほど、

最後に判断する人間の経験と価値観が重要になる

と思っています。

50代、60代はAI時代に不利なのか

私は、必ずしもそうは思いません。

もちろん、新しいデジタルツールに慣れる速さでは、若い人の方が有利なこともあるでしょう。

でも50代、60代には、若い人には物理的に持てないものがあります。

時間です。

30年働いた人には、30年分の経験があります。

成功。

失敗。

転職。

昇進。

降格。

部下。

上司。

顧客。

クレーム。

家庭。

お金。

病気。

親。

人間関係。

いろいろなことを経験している。

問題は、

それが頭の中に散らばっていること

です。

本人にとっては当たり前になっている。

だから価値に気づいていない。

「こんなの誰でも知ってるだろ」

と思っている。

でも、20代の人からすれば知らないことかもしれない。

同じ業界でも、別の職種の人は知らないかもしれない。

私はAIには、ここを掘り起こす力があると思っています。

「それ、面白いですよ」

「なぜそう思ったんですか?」

「その経験から何を学んだんですか?」

と整理していく。

すると、

ただの昔話だと思っていたものが、

仕事の知恵になる。

これは、経験の長い人ほど大きな可能性があります。

経験年数が長いだけでは、価値にはならない

ただし、

「30年働いたから偉い」

と言いたいわけではありません。

30年間、同じことを何となく繰り返していただけなら、経験がそのまま価値になるとは限りません。

大切なのは、

経験から何を取り出せるか

だと思っています。

なぜ成功したのか。

なぜ失敗したのか。

あのとき、なぜお客様は怒ったのか。

なぜあの営業マンは売れたのか。

なぜ自分はあの会社ではうまくいかなかったのか。

なぜ別の会社では評価されたのか。

なぜあの部下は伸びたのか。

なぜあの上司には人がついていかなかったのか。

経験を振り返って、

自分なりの法則にする。

ここで初めて、経験が他の人にも使える知恵になります。

今回私がやっていることも、まさにそれです。

30年間の出来事を並べているだけではありません。

出来事から、

「人間は感情の生き物である」

「何を話すかの前に、誰が話すかがある」

「頑張る場所を間違えない」

「真実は最強の営業トーク」

「クレームは正論を言う前に、話を聞いてもらえる関係を作る」

という、自分なりの経験則を取り出している。

そして必要なら、その後で、

「これは心理学では、こういう考え方に近い」

と理論を当てればいい。

私は、

理論から自分の経験を探すのではなく、自分の経験から理論を発見する

方が面白いと思っています。

AI時代の経験者に必要なのは「違和感に気づく力」

現在、私はホームインスペクターとして、今でも住宅の現場に出ています。

図面を見る。

床下へ入る。

屋根裏を見る。

水平を測る。

サーモグラフィーカメラを見る。

住宅のいろいろなところを確認します。

もちろん、基準や知識は必要です。

でも経験を積んでくると、それだけではない感覚が出てきます。

「なんか、おかしい」

という感覚です。

ぱっと見たときに、

「これ、変じゃないか?」

と思う。

そこから詳しく見る。

すると、本当に問題が見つかることがあります。

経験者の価値は、

答えを全部暗記していることだけではありません。

私は、

違和感に気づけること

が大きいと思っています。

AIに、

「この場合の一般的な施工方法は?」

と聞けば、知識は出てくるでしょう。

でも現場には、

「そもそも何を質問すればいいのか分からない」

という状態があります。

そこで、

「ここを調べた方がいい」

と気づける。

これは経験が作る能力です。

私はAI時代の専門家には、

答えを知っていること以上に、正しい問いを立てられること

が重要になると思っています。

お客様がAIで調べてくる時代になる

住宅相談でも、これからはお客様自身がAIでかなり調べてから来るようになるでしょう。

「この工法のメリット・デメリットは?」

「このひび割れは危険ですか?」

「この見積は高いですか?」

AIに聞けば、かなりの情報が出ます。

では、住宅の専門家は不要になるのでしょうか。

私は、そうは思いません。

むしろ役割が変わると思っています。

お客様が、

「AIではこう言われたんですけど」

と来る。

そこで専門家が、

「その説明は一般論としては合っています。ただ、今回の住宅の場合はここが違います」

と言える。

あるいは、

「その可能性もありますが、現場ではこちらを先に確認した方がいいです」

と言える。

これが経験者の仕事です。

AIと情報量で競争する必要はありません。

AIが出した一般論を、その人、その住宅、その現場に合わせて補正する。

ここに人間の専門家の価値が残ると思っています。

住宅には「正解が一つではない」問題が多い

住宅相談をしていると、

「どちらが正解ですか?」

と聞かれることがあります。

でも、住宅には一つの正解がない問題がたくさんあります。

マンションか戸建てか。

新築か中古か。

駅近か広さか。

大手ハウスメーカーか工務店か。

断熱性能をさらに上げるか、その予算を別のところに使うか。

頭金を入れるか、手元に現金を残すか。

合理性だけなら答えが出るように見えても、

その人の価値観によって答えは変わります。

子ども。

仕事。

親。

趣味。

通勤。

将来。

安心感。

見栄。

思い出。

人間には感情があります。

だから私は、専門家の役割は、

正解を押しつけることではない

と思っています。

情報を整理する。

選択肢を示す。

経験からリスクを伝える。

本人が気づいていない論点を出す。

そして最後は、

「あなたは、どうしたいですか?」

に戻す。

AIも選択肢は出せます。

でも、その人の表情を見ながら、

「理屈ではAと言っているけど、本当はBに気持ちが動いているな」

と感じるような場面は、人間の仕事としてまだ大きいと思っています。

知識を「感情に翻訳する」

私はこれからの専門家に必要なのは、

単に知識を持っていることではなく、

知識を感情に翻訳できること

だと思っています。

住宅の専門用語を100個知っている。

それ自体には価値があります。

でも、お客様が本当に知りたいのは、

「それで、私は安心して買っていいんですか?」

かもしれません。

クラックの基準を説明する。

傾斜の数値を説明する。

耐震性を説明する。

でも最後には、

「では、この家を買うかどうかをどう考えればいいのか」

につなげなければいけません。

専門家は、

不安を安心に変える。

迷いを決断に変える。

場合によっては、

後悔を納得に変える。

私は、そういう仕事だと思っています。

情報そのものは、AIがどんどん出してくれるようになります。

だからこそ人間には、

その情報を、目の前の人が使える形に変える力

が求められるのではないでしょうか。

「凹凸」がある人間の方が、AIと相性がいいかもしれない

私は、自分を何でもできる人間だと思ったことはありません。

できないことは、本当にできません。

料理は得意ではありません。

掃除も得意ではありません。

方向感覚も弱い。

文章を書くことも得意ではない。

若い頃には、自分に向いていない仕事をして、

「なんで俺はこんなこともできないんだ」

と思ったこともあります。

一方で、得意なこともあります。

人と話す。

人の話を聞く。

その場で考える。

相手の反応を見る。

住宅の技術と営業の両方を考える。

現場で違和感に気づく。

経験したことを、面白おかしく人に話す。

私は、

人間は凸凹でいい

と思っています。

以前なら、苦手な20点を頑張って50点まで持っていく必要があったかもしれません。

でもAIがある時代には、その20点をAIにかなり補ってもらえる。

だったら人間は、

90点あるものを100点にすることへ、もっと時間を使ってもいい。

私はそう考えています。

AIは「凹」を埋め、人間は「凸」を伸ばす

これは私自身が今まさにやっています。

私は文章を書くことが苦手です。

だったらAIに手伝ってもらう。

情報整理もAIに手伝ってもらう。

長い話の分類もAIにやってもらう。

一方、

30年間の経験を話すこと。

現場の空気を思い出すこと。

お客様の表情を思い出すこと。

「このとき俺は本当に怖かった」

「このときは恥ずかしかった」

「これは嬉しかった」

という感情を出すこと。

これは私がやる。

つまり、

AIに自分の凹を埋めてもらい、自分は凸を伸ばす。

私はこれが、AI時代の非常に現実的な働き方だと思っています。

全部をAIに任せるのでもない。

全部を自分でやるのでもない。

分業する。

それだけです。

「できないことを克服する人生」から少し降りてもいい

私たちは子どもの頃から、

苦手なことを克服しなさい。

できないことをできるようにしなさい。

と言われます。

もちろん、最低限必要なことはあります。

でも50代、60代になってまで、

何もかも平均点にしなければいけないのでしょうか。

私は、もう少し凸凹のままでいいと思っています。

自分が苦手なものを認める。

得意な人に頼る。

機械に任せる。

AIに任せる。

その代わり、

自分にしかできないところは徹底的に磨く。

これは手抜きではありません。

戦略です。

第1章で書いた「弱者の営業戦略」と、実は同じ話です。

自分が勝てない場所で、無理に勝とうとしない。

勝てる場所へ力を集中する。

AIによって、その選択肢が増えただけです。

「バサロ」でいい。ずっと水面にいる必要はない

私は自分の仕事人生を考えるとき、

「バサロ」

という言葉を使うことがあります。

水面からは見えないところで潜って進む。

周りから見れば、

「あの人、何やってるんだろう」

という時期がある。

でも水中では進んでいる。

そして、自分のタイミングで浮上する。

私は仕事でも人生でも、ずっと目立ち続ける必要はないと思っています。

50代になって、

「もうピークは過ぎた」

と思う必要もない。

30年分の経験がある。

昔書いたものがある。

昔失敗したことがある。

昔うまくいったことがある。

昔の部下との出来事がある。

お客様との出来事がある。

全部、水中に蓄積されています。

AIを使えば、それを掘り起こして、整理して、もう一度水面へ持ってくることができます。

20代と同じ戦い方をする必要はありません。

30代と同じ働き方をする必要もありません。

経験を持った50代には、50代の戦い方がある。

私はそう思っています。

AIは、経験の「再利用装置」になる

今回、自分の30年間を話していて、私自身、

「こんなこともあったな」

と何度も思い出しました。

一つの話から、別の話を思い出す。

そこからまた別の経験が出てくる。

AIが、

「その話は、以前話していたこの考え方につながりますね」

と整理する。

すると、バラバラだった経験がつながっていきます。

私はこれを、

外部記憶装置

のように感じています。

自分の頭の中だけに置いておけば、いつか忘れます。

話す機会がなければ、そのまま消える。

でも言葉にして残しておけば、

ブログになる。

講演になる。

研修になる。

YouTubeになる。

相談業務にも使える。

場合によっては、本にもなる。

一つの経験が、何度も別の形で生きる。

つまりAIは、

経験を再利用できる形に変える装置

にもなります。

これは、経験の長い人ほど面白い使い方だと思っています。

「黄色いバッジ」をつけられた人間でもいい

私は若い頃から、何をやっても器用にこなすタイプではありませんでした。

自分に合わない場所へ行けば、本当にダメです。

以前、自分に向いていない仕事をして、

周りから見れば、

「使えない人」

だったこともあります。

私はそういう状態を、自分の中で冗談交じりに、

「黄色いバッジをつけられた状態」

のように表現することがあります。

でも、その場所で評価が低いからといって、

人間として能力が低いとは限りません。

場所が変われば、評価は変わります。

仕事が変われば、評価は変わります。

求められる能力が変われば、同じ人間でも突然強くなる。

私自身、それを何度も経験してきました。

だから私は、

「自分はダメだ」

ではなく、

「ここでは、自分の凸が使えていないのではないか」

と考えた方がいいと思っています。

AI時代は、その凸を使える場所を増やしてくれる可能性があります。

文章が苦手でも発信できる。

資料作りが苦手でも講演できる。

整理が苦手でも知識を体系化できる。

だから、

凹があることを必要以上に恥じなくてもいい。

AIを使うほど「その人自身」が問われる

ここまで読むと、

「じゃあAIを使えば、誰でも同じようにできるのか」

と思うかもしれません。

私は、むしろ逆だと思っています。

AIが文章をきれいにしてくれる。

AIが資料を作ってくれる。

AIが情報をまとめてくれる。

みんなが同じ道具を使えるようになる。

そうすると最後に差になるのは、

「あなたは何を持っている人なのか」

ではないでしょうか。

どんな仕事をしてきたのか。

何に失敗したのか。

何を見てきたのか。

何を大切にしているのか。

何に怒るのか。

何が好きなのか。

誰を助けたいのか。

どんな経験なら、自分の言葉で話せるのか。

AIが優秀になればなるほど、

人間側の原液が問われる。

私はそう思っています。

AIに100点の文章を書いてもらっても、中身が誰でも言える一般論なら、やがて似たような文章だらけになります。

でも、

冬の杉並で4時間以上近隣住民に囲まれて、足が勝手に震えた。

その後、その人たちの家に入って、お茶とお菓子を出してもらった。

こんな経験は、私の経験です。

AIが一般論として作る話ではありません。

だから価値がある。

AI時代に強いのは、AIっぽい人間ではない。

人間臭い人間なのかもしれない。

私は最近、そんなことを考えています。

AIに全部任せたら、自分が薄くなる

だから私は、AIに丸投げするのは少し違うと思っています。

「私の代わりに考えて」

「私の代わりに経験して」

「私の代わりに判断して」

となってしまったら、自分がどんどん薄くなります。

AIには、

整理してもらう。

調べてもらう。

比較してもらう。

文章にしてもらう。

違う視点を出してもらう。

でも、

何を大切にするかは自分で決める。

ここは手放さない。

私がAIを「最高の参謀」と呼ぶのは、そのためです。

参謀に国を任せるのではありません。

参謀の力を借りて、自分がより良い判断をする。

私はAIと、そういう付き合い方をしたいと思っています。

これから価値が上がるのは「経験 × 言語化 × コミュニケーション × AI」

私はこれからの時代、

単に経験が長いだけでも、

AIを使えるだけでも、

十分ではないと思っています。

自分の経験を掘り起こす。

そこから意味を見つける。

言葉にする。

相手に伝える。

そしてAIを使って、整理し、広げる。

私はこれを、

経験 × 言語化 × コミュニケーション × AI

だと考えています。

AIは、この掛け算の一つです。

人間を消すものではありません。

むしろ、

人間が持っているものを、外へ出すための増幅装置

として使える。

私は文章を書くことが苦手でした。

それでも今、自分が30年間考えてきたことを、こうして文章として残せています。

私一人では難しかった。

AIだけでも書けなかった。

なぜなら、AIには私の30年間がないからです。

だからこれは、

人間かAIか、

ではありません。

人間とAIです。

50代、60代だからこそ、AIを使えばいい

もし同世代の人から、

「AIなんて若い人が使うものでしょう」

と言われたら、私は逆のことを言いたいです。

経験がある人ほど、AIを使った方が面白い。

20代には20代の武器があります。

新しいものへの適応。

体力。

時間。

これから積める経験。

でも50代、60代には、

すでに積み上げたものがあります。

それを頭の中に眠らせておく必要はありません。

文章が苦手なら、AIに整理してもらえばいい。

パソコンが得意でなくても、話せばいい。

自分では価値が分からなければ、

「この経験のどこが他の人に役立つと思う?」

とAIに聞いてみればいい。

すると、30年前の失敗が、今の誰かの教材になるかもしれません。

昔のクレームが、若い管理職の役に立つかもしれない。

昔の営業経験が、今の経営者のヒントになるかもしれない。

経験は、古くなったから価値がなくなるのではありません。使える形に翻訳されていないから、眠っているだけかもしれません。

最後に残るのは「その人が生きてきたもの」

AIはこれから、もっと賢くなるでしょう。

今できないことも、できるようになるでしょう。

だから、

「AIにはこれはできない」

と境界線を引いて安心することには、あまり意味がないと私は思っています。

それより、

AIがどれだけ賢くなっても、自分が生きてきた人生そのものが消えるわけではない。

こちらの方が重要です。

私には私の30年があります。

他の人には、その人の30年があります。

同じ住宅業界で働いていても、経験は違います。

同じ会社にいても違います。

同じ失敗をしても、そこから何を学んだかは違います。

だからAI時代には、

「AIに何ができるか」

だけではなく、

「自分は何を持っているのか」

を考えてみる。

そして、苦手なことはAIに助けてもらう。

得意なことは、自分がやる。

AIに情報量で勝とうとしない。

AIに文章力で勝とうとしない。

AIに記憶力で勝とうとしない。

自分は、人間であることで勝負する。

怖かった経験。

悔しかった経験。

恥ずかしかった失敗。

うれしかった成功。

人に助けてもらったこと。

誰かを助けたこと。

現場で感じた違和感。

30年かけて身についた勘。

それを出す。

そしてAIに、

「これを整理してくれ」

と頼めばいい。

私はそれが、

AI時代の「凹凸人間」の戦い方

だと思っています。

20点の凹を、一生懸命50点にするだけの人生から少し降りる。

AIに凹を補ってもらう。

そして、自分にしかない90点の凸を100点へ持っていく。

人間が原液を出し、AIが編集する。

AIは最高の参謀。人間は経験を持った指揮官。

そして最後に決めるのは、自分です。

私はAI時代になったからこそ、30年間生きてきたこと、働いてきたこと、失敗してきたことの価値が、以前より大きくなったように感じています。

だから私は、

AI時代だからこそ、経験がものを言う。

そう思っています。